一般に公正妥当と認められたいBLOG

すあま先生が興味があることを勝手に書き散らしてしていくブログ

今、首にぶら下げる謎の布をいただきました。こんなんなんぼあってもいいですからね

後輩「先輩落語好きなんですか?学生時代、私がバイトしてた店に落語家さんが来て落語会をやったことがあったんですけど…。柳家小なんとかっていうすごくベテランの人みたいでした」
ぼく「もしかして柳家小三治…?」
後輩「それかもしれないです!とても気難しそうなおじいさんでした」
ぼく「その特徴は間違いなく柳家小三治じゃないか」
後輩「終わったあとにブログに会のことを書いてくれました」
ぼく「じゃあ小三治じゃないやないか」

 

という、ミルクボーイのクソ劣化版みたいなやり取りを、

木曜日に会社の後輩としてきました。

 

ちなみに、よくよく聞いたところ正解は柳家小袁治師匠でした。

文章で笑わせるって相当難しいことなんじゃないか問題

1ヶ月ほど前の記事で、こんなものがありました。

www.nikkei.com

ちょうど冒頭の部分は無料なので、以下にも引用します。

人間国宝だった先代の柳家小さんさんに、愉快なエピソードがある。連絡がつきやすいようにと、弟子が携帯電話を持たせることにした。立ち寄ったお店で電話を初めて受けた小さん師匠は不思議そうに、こう尋ねたという。「オレがここにいるって、よく分かったな」

 この実話は、小さん師匠の弟子を中心に色んな落語家が高座でネタにするんですけれども、いつ誰が話しても大爆笑をとる鉄板のネタなんですよね。

その一方、この話を聴いたことがない人は、上記の新聞記事でこのエピソードに初めて触れたと思うのですが、笑った人いますかね。たぶんいないんじゃないでしょうか。

 

僕は最初にこの記事を読んだとき、文章でここまで面白さを台無しにできるものなのかと驚きました。

あんなに面白いエピソードをこんなにつまらなく書けるものなのかと。

そもそも笑える話をするのに「愉快なエピソードがある」っていう書き出しはひどすぎるんじゃないのかとか…。

 

しかし冷静になって考えると、文章で笑いを取るってものすごく難しいことなんですよね。

この記事が掲載された「春秋」というコーナーは朝日新聞でいえば「天声人語」に該当するところで、おそらくかなりベテランの記者が担当してるはずです。そうなると人に読ませる文章術の何たるかを知り尽くしているはずで、そのようなベテラン記者を持ってしても、「笑える話」というのはこういう有様になってしまうとということなんだと思います。

これは結構興味深い現象ですね。

 

落語家さんの中には著書を執筆する人もたくさんいますが(いわゆる本書く派)、意外と文章で笑いを取りにいこうとしている人は少ない印象です。

自分でやる落語の解説とか、半生を振り返ったりとか、真面目な内容の本がそういえばほとんどですね。

やはりそれだけ、文章で笑いを取るということは難しいということなのでしょう。

そしてそれは同時に、「喋りのプロ」と「文章のプロ」が全く違う技術であると言うことを明らかにしていると思います。

そう考えると、テレビ批評というジャンルとはいえ、連載のたびに口角の上がってしまう記事を書き続けたナンシー関は相当すごいですね。改めて尊敬します。

 

落語家さんの書く本の中には例外があって、春風亭一之輔師匠のエッセイは異常に面白いです。これはページを繰りながらフフッとなってしまうことが多々あり。

やっぱり話す力が異次元に突き抜けている人は、文章でも人を笑わせることができるということなんですかね。それとも話しているときと同じリズムで文章をかけるから、話しているときのおかしみがそのまま文章から受け手に伝わるということなんでしょうか。

(上で取り上げた記事は、落語家が高座で話したことを新聞記事のスタイルに変換されたから、リズムが伝わらなくなって面白くなくなったということなのか…?)

 

ちなみに一之輔師匠の文章は、最初のころはガラケーのメール作成機能で書いていたらしいです。信じられない。

とにかくこの本は、落語家が書く笑ってしまう文章として、お勧めできます。

でもご本人曰く、街中の潰れそうな本屋で買ってくださいということらしいので、Amazon で買うのは最後の手段にしてください。(これ見よがしにリンクを貼っといて言うのもなんですが!)

いちのすけのまくら

いちのすけのまくら

 

 

まくらが来りて笛を吹く

まくらが来りて笛を吹く

 

 

 

BS フジ「輝き続ける中島みゆき」が割と良かったという話

3月7日に BS フジで「輝き続ける中島みゆき」が 放送されていました。

『輝き続ける中島みゆき』|BSフジ

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番組タイトルロゴ(工藤静香・筆)

スタジオの出演者は「出演:岩垂かれん 工藤静香 中村中 柳葉敏郎 船山基紀」で、 VTR のインタビューで プロデューサーの瀬尾さんが出演というラインナップ。

2時間たっぷり時間をとって、ドラマのヒット曲あり、夜会あり、 コンサートあり、 技術的な解釈論もありで、 これまで似たような特集が定期的に放送される中で、かなりバランスの取れた構成になっていた気がします。

 

個人的には、これ系の特集の中では今回の人選はかなり良かったと思います。

出演者も、コンテンツも落ち着いていました。

コンテンツが落ち着いているというのは、ヒット曲や話題曲を全面に出さず、ファンが共通的に大事だなと思っている特徴などを一つずつ紐解いていっていることに好感が持てました。BSだからあまりキャッチーにしなくても良いというのはあるかもしれません。

出演者の人たちは、まず全員が中島みゆきさんに対する愛がありつつも、かなり落ち着いて話しているというところが良かったですね。

熱狂的なファンを集めるのは簡単だけれども、 あまりにも熱弁されちゃうと 見てる側がよほどのファンじゃない限り引いてしまうんですよね。

クリス松村とか、マツコ・デラックスとか、中島みゆき研究所の管理人とかが出なくて本当に良かった。

色んな角度からのバランスの取れた構成

あと、それぞれの出演者が中島みゆきのどこが好きなのか、どの年代が好きなのか、微妙にポイントが違くて バランスが取れていたように思います。

番組の中でコーナーで各出演者が自分の好きなプレイリストを5曲選ぶというコーナーがあったのですが、 その選曲の仕方が非常に面白かったです。

 

中村中さんは「キツネ狩りの歌」や「 蕎麦屋」など、 デビュー当初から80年代初頭ぐらいの曲をメインに選曲していて、 工藤静香さんは「やまねこ」 などの80年代中盤のいわゆるご乱心の時代がどうも好きみたい。

柳葉さんはご自身がみゆきさんと共演した思い出が強くあるのか、90年代の 「浅い眠り」「糸」などトレンディドラマに楽曲提供していた頃の曲が多く、 岩垂さんは「倒木の敗者復活戦」や「重き荷を置いて」 みたいな、自らが聴き始めた2000年代に入ってからのアルバムの片隅ある応援歌的な曲が好きみたいで、見事に分散されてます。

作家さんがあえて分けて配分したのかもしれないけども、多面的に魅力が詰まった面白いプレイリストになっていましたね。

不満点

ちょっと不満だったのは、ゲストに実際に中島みゆきさんの曲を歌わせるところですね。

工藤静香が自分の持ち曲を中心に3曲 、 中村中が1曲 歌っていたんだけど、 歌唱のクオリティ的にはどう考えても逆が良かった。

工藤静香の持ち曲はいつでもCDで聞けるし、 高音が出づらいのかなかなか耳慣れない歌い方をしていて正直上手いとは言えない歌い方でした。

その前のトークコーナーで「みゆきさんは言葉を大事にする」 と言っておきながら歌詞をちゃんと発音しないのもいかがなもんだろうか。

再放送

紹介しておいてなんですが、まだ特に再放送とかの予定はないみたいですね。 

特集は続く

今度は、3月13日に地上波フジテレビミュージックフェアでやるみたいなのですが、これはどうなるでしょうか。

ミュージックフェアは結構定期的に中島みゆき特集はやっていて、かなり前に恵俊彰氏が司会だったときに観たときがあるんですよね。

そのときは、ゲスト歌手のパフォーマンスはとても良かったのですが、司会の恵氏がまるで興味がなさそうで、かる~いおべんちゃらで「素晴らしい楽曲ですね」とかいって流してて興ざめした記憶があります。

今は司会は軽部さんなので、どうなのでしょう。余計になんか流すような司会になっているようななっている気がしますが…。

とりあえず録画はしてみたいと思います。

www.fujitv.co.jp

 

【コロナ対応】中止が相次ぐ落語会のスケジュール&チケット管理

新型コロナウイルスの関係で中止・延期になる会が増えてきたので、自分がやってる予定やチケットの管理方法をメモしておきます。お役に立てば…。

普段からやっていること

  • 会を予約した時点でGoogle カレンダーに記入
  • ぴあ等で買ったチケットは、なるべく発券せず、当日か直前に発券。

会が中止になった場合

  • とりあえずカレンダーの予定名に【中止】と書いておく。
  • ぴあ等で買ったチケットは、プレイガイドで払い戻しの開始のお知らせが出次第払い戻しの手続きをする。払い戻しの手続きは発券前のほうが多くの場合楽。
  • 会場で買うなどして手元にチケットがある場合、主催者に払い戻し方法を問い合わせる。
  • 手続がおわったら、Googleカレンダーから予定を削除

会が延期・振替になった場合

多くの場合、延期前のチケットでそのまま入場できるようになるので、それを前提としています。オフィスエムズさんとかの会はちょっと違うかも。

  • とりあえずカレンダーの予定名に【7/2に延期】とか書いておく。
  • チケットは、当初の公演日より前に必ず発券。(それ以降、発券できなくなる場合がある)
  • 発券したチケットに、延期後の日付を手書きで書き込んで保管
  • 会場で買うなどして手元にチケットがある場合も、延期後の日付を手書きで書き込んで保管
  • 上記の作業が終わったら、Googleカレンダーの日付を延期後のものに変更する。
  • 延期後の日付が行けない日の場合は、払い戻しの手続きを確認する。

 

定期的にやること

定期的にカレンダーを見返して、4月にまだカレンダーに残っている会のステータスを確認する。

各寄席の舞台の額にはなんて書いてあるか(自分用備忘)

最近寄席文字などに興味を持つようになってきて、それと同時に館内にあるものになんか目が付くようになってしまった。

これまで自分が寄席通いの中で見逃してきたものの代表例として高座の後ろにある額がある。思い返してみれば、落語を聴いてる間はずっと視界に入っているはずなのに、意識をしたことが全くなかった。

そこで今回は各寄席の額に何が書いてあるか、自分のための備忘録としてまとめてみた。

 

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各寄席の2019年10月増税以降の新料金(確定)

消費税率引き上げに伴い、各寄席の料金も改定が公表されています。

自分用にまとめます。

 

鈴本演芸場

  •  一般 2,800円→3,000円
  • 学生 2,500円(変更なし)
  • 小学生 1,500円(変更なし)

昼夜完全入れ替え

末廣亭増税に伴う値上げなし)

  • 一般 3,000円
  • シニア 2,700円
  • 学生 2500円
  • 小学生 2200円

昼夜入れ替えなし

浅草演芸ホール

  •  一般 2,800円→3,000円
  • 学生 2300円→2,500円
  • 4歳以上 1,500円(変更なし)

昼夜入れ替えなし

 

池袋演芸場増税に伴う値上げなし)

上席・中席(1日~20日)

  •  一般 2,500円
  • 学生 2,000円
  • 小学生 1,500円

昼夜入れ替えなし

下席(21日~30日)昼の部のみ

  •  一般 2,000円
  • 学生 2,000円
  • 小学生 1,500円

入れ替えあり。夜の部は企画物のため別料金

国立演芸場(定席のみ)

  • 一般 2,100円→2,200円
  • 学生 1,500円(変更なし)
  • シニア 1,300円→1,400円
  • 小学生 1,100円(変更なし)

 

落語の楽しみ方を強要する評論家は滅びてほしい

ときどき寄席に行くと、時々自称落語好きのおじさんが若者の初心者にマウントを取って、落語とは何かを語っている地獄のような光景を目の当たりにすることがある 。

 

この記事を読んで、その時と同じようなモヤモヤとした嫌な気持ちになった。

headlines.yahoo.co.jp

 

この記事の中では、「落語の中でも特に『中村仲蔵』が好き。いろいろな人の中村仲蔵が聞きたい」という小泉進次郎氏に対して、「中村仲蔵は人情噺なので、これを好きということはこいつは落語の本質がわかってない」と演芸評論家の吉川潮氏がコメントしている。

 

なんで演芸評論家というのは、どいつもこいつもこんなんばっかりなんだ!

 

志の輔師匠の中村仲蔵を見に行ったら感動した。だから他の人の中村仲蔵も聞いてみたい。

これは落語ファンとしては極めて真っ当な心理だろう。

 

中村仲蔵が落語のストーリーとして王道かどうかはこの場合そんなに重要だろうか。

 

今落語を楽しんでいる人のうちの大半は、そうやってどんどん数珠つなぎのように新しい落語家、新しい話を知っていき、楽しめる演目の幅や贔屓の噺家さんを増やしていってるのではないだろうか。

 

記事中で吉川氏が語っている「忠臣蔵なら、討ち入りに行かずに逃げちゃったほうの侍を主人公にするのが落語です」というのはそりゃそうだ。落語がどんなものか、講談との違いは何かを一言で表現した談志師匠のわかりやすい名解説だと思う。

しかしそれをこの文脈で、中村仲蔵が好きだという落語ファンに対してぶつけるのは、ただのひけらかしである。

評論家なら、知識を知っているだけでなく、適切な文脈で使わなければ適切な評論はできないことぐらいはわかってほしい。

 

落語に全く興味がない人はそもそもこの記事を読まないと思うが、どんなものかと思って読んだ人とっては、落語というのはとても怖い世界だと思うだろう。

落語を観てある演目に感動し、他の落語家の同じ話を聞きたいと言っただけで、知らないじいさんに絡まれて「本質が分かっていない」とか言われるのだ。こんな恐怖はない。

 

この吉川氏に限らず、落語が好きだと発信する若者に対して上から目線で「俺の落語論」をぶつけてくるお年寄りの評論家や落語好きは非常に多い。

この手の人たちにとっては、落語というのはいつまでも手の届かない伝統芸能のままあるべきで、若い奴らがちょっとつまみ食いをするような ことは許せないと思ってるようにすら感じる。

少なくとも、この記事での小泉氏への吉川氏の語り方は、そう思われても仕方がないものだ。

 

まあ、この記事は小泉氏を批判することがそもそもの目的のようなので、ネガティブなコメントを寄せてくれそうということで吉川氏が選ばれたのだろう。そういう意味では、この人は立派に務めを果たしたともいえる。

 

前の記事でも書いたとおり、僕が落語議連に対してはあんまりポジティブな感情を持っているわけではないのだが 、小泉氏が自分の感性で面白いと思った落語を楽しむ権利は誰にも犯されるべきものではないと思う。

 

これだけいろいろ書いてみたが、政治家としての小泉進次郎氏を持ち上げるつもりも貶めるつもりもないことは最後に言っておきたい。