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文章で笑わせるって相当難しいことなんじゃないか問題

1ヶ月ほど前の記事で、こんなものがありました。

www.nikkei.com

ちょうど冒頭の部分は無料なので、以下にも引用します。

人間国宝だった先代の柳家小さんさんに、愉快なエピソードがある。連絡がつきやすいようにと、弟子が携帯電話を持たせることにした。立ち寄ったお店で電話を初めて受けた小さん師匠は不思議そうに、こう尋ねたという。「オレがここにいるって、よく分かったな」

 この実話は、小さん師匠の弟子を中心に色んな落語家が高座でネタにするんですけれども、いつ誰が話しても大爆笑をとる鉄板のネタなんですよね。

その一方、この話を聴いたことがない人は、上記の新聞記事でこのエピソードに初めて触れたと思うのですが、笑った人いますかね。たぶんいないんじゃないでしょうか。

 

僕は最初にこの記事を読んだとき、文章でここまで面白さを台無しにできるものなのかと驚きました。

あんなに面白いエピソードをこんなにつまらなく書けるものなのかと。

そもそも笑える話をするのに「愉快なエピソードがある」っていう書き出しはひどすぎるんじゃないのかとか…。

 

しかし冷静になって考えると、文章で笑いを取るってものすごく難しいことなんですよね。

この記事が掲載された「春秋」というコーナーは朝日新聞でいえば「天声人語」に該当するところで、おそらくかなりベテランの記者が担当してるはずです。そうなると人に読ませる文章術の何たるかを知り尽くしているはずで、そのようなベテラン記者を持ってしても、「笑える話」というのはこういう有様になってしまうとということなんだと思います。

これは結構興味深い現象ですね。

 

落語家さんの中には著書を執筆する人もたくさんいますが(いわゆる本書く派)、意外と文章で笑いを取りにいこうとしている人は少ない印象です。

自分でやる落語の解説とか、半生を振り返ったりとか、真面目な内容の本がそういえばほとんどですね。

やはりそれだけ、文章で笑いを取るということは難しいということなのでしょう。

そしてそれは同時に、「喋りのプロ」と「文章のプロ」が全く違う技術であると言うことを明らかにしていると思います。

そう考えると、テレビ批評というジャンルとはいえ、連載のたびに口角の上がってしまう記事を書き続けたナンシー関は相当すごいですね。改めて尊敬します。

 

落語家さんの書く本の中には例外があって、春風亭一之輔師匠のエッセイは異常に面白いです。これはページを繰りながらフフッとなってしまうことが多々あり。

やっぱり話す力が異次元に突き抜けている人は、文章でも人を笑わせることができるということなんですかね。それとも話しているときと同じリズムで文章をかけるから、話しているときのおかしみがそのまま文章から受け手に伝わるということなんでしょうか。

(上で取り上げた記事は、落語家が高座で話したことを新聞記事のスタイルに変換されたから、リズムが伝わらなくなって面白くなくなったということなのか…?)

 

ちなみに一之輔師匠の文章は、最初のころはガラケーのメール作成機能で書いていたらしいです。信じられない。

とにかくこの本は、落語家が書く笑ってしまう文章として、お勧めできます。

でもご本人曰く、街中の潰れそうな本屋で買ってくださいということらしいので、Amazon で買うのは最後の手段にしてください。(これ見よがしにリンクを貼っといて言うのもなんですが!)

いちのすけのまくら

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まくらが来りて笛を吹く

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