書店で見かけてむむむっと思ったので書いてみます。
なんとなく、本を売るために仕方が無いことなのかもしれないけれど、「なんだかなー」と思うタイトルが新書を中心に多いということ。
先週売り場でいろいろな本を手にとってみて気づきました。
具体的に違和感を感じたのは、以下の2点
「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」竹田恒泰
気になったのは、本の主張が正しいということを前提としたうえで、問い形式のタイトルをつけている、ということです。
「なぜ〇〇なのか」というタイトルを本につける場合、その〇〇は確固とした事実でなければいけないはずです。
だれもが知っていて共通認識のある〇〇について、〇〇がなぜそうなっているのか解説や著者の分析を付すことで、「なぜ〇〇なのか」というタイトル全体がひとつのまともな主張になり得るのです。
そういった意味では、「天皇はなぜ生物学を研究するのか」(丁宗鐵)という本のタイトルはかなりまともな例として挙げられます。
「天皇が生物学を研究している」ということは疑いようのない事実であり、それに「なぜ~なのか」を付すことで本のタイトル全体が著者の主メッセージ・主張になっているからです。
これをもとに前にあげた2つの本のタイトルを見ていると、「天皇はー」とは構成が違うことがわかります。
上杉さんの本のタイトルには「ツイッターでつぶやくと日本が変わる」という前提があり、竹田さんの本のタイトルには「日本は世界でいちばん人気がある」という前提があります。
ここでいう2つの前提は「天皇が生物学を研究している」とは違い、疑いようのない事実ではありません。まだまだ議論の余地が残る、著者の主張でしかありません。
「ツイッターでつぶやくと日本が変わる」や「日本は世界でいちばん人気がある」がそのまま本のタイトルであれば、著者の主張を反映した良いタイトルとなったと思いますが、それに「なぜ~なのか」をつけたことでタイトルの質が下がってしまったような感じがします。
「なぜ~なのか」をつけると、どうしても前提の部分が普遍的な事実であるという印象を読者は受けてしまいます。前提部分がただの著者の主張であるにもかかわらず、「なぜ~なのか」があることで、
「ツイッターでつぶやくと日本が変わるって、知らないうちにそういう常識ができていたのかな?」とか
「自分が知らないだけで、いつのまにか日本は世界でいちばん人気があることになってたのかな」
というように、自分の持っている常識的感覚に対して自身が持てないまま本を手にとってしまうのです。
その結果、本に書かれている著者の主張(ここでは「ツイッターでつぶやくと日本が変わる」)に対して警戒することを忘れ、本の内容をそのままするりと飲み込んでしまいます。
こういったタイトルのつけ方は、意見の発表する方法としてあまりフェアではない気がどうしてもしてしまいます。
どストレートな、主張を全面に押し出したタイトルを打ち出すか、
それともタイトルは絶対的事実を提示してそれの解説に務めるか、
どちらかでタイトルを作ってもらいたいものです。
そういった意味では、論点・主張をドンと全面に出している↓の本のタイトルには好感がもてますね。
内容にあんまり同意できませんでしたが・・。